たまおのブログ

たまおです。

大人になるということ

大人になるということ、について考えました。

 

考え方はいろいろあると思いますが、私の中で思うひとつとして「自分の心の中のデータベースに蓄積されているデータ量が増える」というのがあります。

 

日々たくさんのことが起きますが、それは「こういうことがあった」「その時こう思った」と、経験や感情が“記憶”として脳や心の中の引き出しに仕舞われていくイメージが自分の中にあります。長く生きていれば当然そのデータ量は増えていくので、次になにか前と似たようなことが起きた時、どうすればベストな行動を取れるかが無意識のうちにわかる(あるいは解決のヒントに気づきやすくなる)ような気がします。

 

残念ながら、大人になっても痛みに慣れるわけではないし、何度体験してもキツいことはあります。それは出来事しかり、人付き合いしかり。でも、いくつも問題を解き続けていれば答えにたどり着くまでのスピードは多少は早くなるし、応用問題だって時間をかければ解ける可能性はあるし、とにかくその“問題”を経験したことは、必ず自分の糧になるはずだと思うんです。

 

以前の記事(「過去へのメッセージ - たまおのブログ」)で、こんなことを書きました。

 

落ち込んでると「誰も味方なんていないのかも」って思ったりすることもあるけれど、なにがあっても少なくとも自分だけは自分の味方で、そのときの自分がなんとか踏ん張ってくれたから未来の自分がいる。仮にさほどがんばらなくたって、変な話そのときただ生きていてくれたおかげでいまがある。そう思うと少しだけ楽になるような気がしています。

 

いまよりもっと若い頃は、落ち込むと視界が狭まるというか、つらいことにフォーカスしてしまってました。けれど、何度も失敗したり乗り越えたり諦めて回り道をしたりしていくうち、結局どの道を選んでもどうにかなるし、あとでいくらでも辻褄を合わせることはできるんだよなと気づきました。というか選んだ道が正解だったかどうか、いま自分が幸せかどうかというのは、他でもない自分自身が決めることでもあるから。

 

人生や目標においては「こうなる」というゴールさえ決めてしまえば、あとはだいたいなんとかなります。そして、その途中の道行きについてはあまり細かいことを予想しないほうが上手くいく気がします。すべては必ずベストな方向に向かっているので、何が起きたとしても、「ああ、今の自分はこの問題に向き合う時期なのだな」と思って、どーんと構えていれば大丈夫……というのも、私がこれまでに得たデータの中から出したひとつの「答え」です。なかなか、すぐには思い出せなくなることもありますが。

 

私は社会的にはもう逃げも隠れもできない「大人」ではありますが、それでもまだ、想像つかないことが起こると動揺したりすることは多いです。時々ポンコツすぎてほんとびっくりする。けれど、よく言われるように「これからの人生でいちばん若いのは今日」。未来の自分に比べれば私はまだまだ子どもなので、それもまあ仕方ないと開き直っちゃえばいいやと思ったりしています。都合のいい時だけ子どもだもーん、というのがいかにも大人っぽいですね……。