たまおのブログ

たまおです。

過去へのメッセージ

昔から書くことは好きだったので、いくつかblogをやってました。で、ふと思い立っていまでも残ってるそれを読み返していたら、10年前の自分の記事の中で10年後の自分(つまりちょうどいまの私)に向けてこう書いてあるのを発見。

 

「どんな風に過ごしているかな。どこに住んでる?楽しい?幸せ?」

 

で、それとともに10年前の自分に対しては

 

「いろいろあるけど元気にやってるから心配すんな」

 

ですって。

 

私はよく未来のことも考えますが、過去の自分について考えることもあります。過去を振り返るのではなく、過去の自分に向かってメッセージを送るって言うんですかね…いや、別にスピリチュアル的なあれではないんですけど。

 

生きていれば辛いこともあるし悩むこともあります。うれしいときはそんなこと考えないけど、落ち込んでいるときは「このままの状態だったらどうしよう」って不安になったりする。でも基本的に自分の問題は他人には解決できなくて、自分でどうにかするしかないんです。未来は自分の選択と行動次第だけれど、どちらに行ったらいいのか、このまま進んでいいのかと悩んで動けなくなることがある。

 

なので問題が解決したとき、あるいはいま幸せだと思える瞬間があったとき、私は過去の悩んでいた自分に向けて「とりあえず未来のおまえは無事だから安心しろ」って伝えるようにしてます。してます、って具体的に何かしてるわけじゃなくてそう思ってるだけなんですけど。でもなんとなく、本当になんとなくですけど、何か悩むことがあっても「未来の自分が大丈夫って言ってる気がする…」って思えるようになりました。思い込みばんざい。

 

落ち込んでると「誰も味方なんていないのかも」って思ったりすることもあるけれど、なにがあっても少なくとも自分だけは自分の味方で、そのときの自分がなんとか踏ん張ってくれたから未来の自分がいる。仮にさほどがんばらなくたって、変な話そのときただ生きていてくれたおかげでいまがある。そう思うと少しだけ楽になるような気がしています。

 

それにしても、10年前からまったく同じこと考えてたんだなと思ってちょっとびっくりしました。とりあえずいまは毎日ごはんが食べられてるしそこそこ幸せなので、安心してください>10年前の自分

最も美しい嘘

前回からちょっと間が空きました。ばたばたしてましたがようやく落ち着いた気がする。でもそういってここ数年落ち着いたためしがない。なのできっとこのままなのであろう。お仕事大好き\(^o^)/

 

というわけで表題です。今回も好きな言葉。

 

芸術とは最も美しい嘘のことである

――ドビュッシー

 

『芸術』とは人から生み出されるもので、自然から生まれたものではありません。だから作者という『人』を介している以上、正解は無いものだと思います。作り手が『ここまで』と思った時点でそれは完成するもの。

 

最近、『好きなことを仕事にすること』についてよく考えます。自分もそのひとりではあるわけで、その難しさと面白さにはいまだに日々翻弄されています。仕事だから妥協も我慢もあるし、完全に自分が満足するまで取り組むことはできないことが多いものです。

 

でも仕事ってある意味芸術みたいなもんだよな、とも思ったりします。それは誰かの手によって生み出されるもので、その価値の多くは受け取る側が決めるもの。だからというわけではありませんが、私は自分の作るものを受け取ってくれる誰かがいる以上、ギリギリまで力も心も尽くしたいといつも思っています。どんなものでも、その時の自分の生み出せる一番面白い『フィクション』を届けたい。それを読んでいる数分の間が、少なくとも無駄ではなかったと思ってもらえるようななにかを。

 

私はけちなので、言ってしまえば自分の費やした時間を無駄にもしたくないんです。もうちょっと格好良く言うと、それは自分を裏切らないということでもあるかもしれません。きっと大昔の芸術家も、命を削って一番美しい嘘を作り上げていたはず。一流の芸術と仕事を一緒にすんな、と思われるかもしれませんけど、何をするにしてもそういう挟持は忘れちゃいけない気がします。

 

なんかすっごいふわっとした書き方ですけど、『好きなことを仕事にすること』についてはいろいろ思うところあるので、たぶんまたそのうち何か書くと思います。ほんと難しいですよねえ、このテーマ…。

 

 

ところで前回のエントリー、公開後やたらと閲覧数とスター数が多かったのでどうしたどうした?と思ったら、はてな公式Twitterに紹介されていたんですね。そんなこともあるとは知らなかった。ネタには気をつけよう…(´-﹏-`;)

永遠に生きる方法

普段の仕事での私の記事を読んだことがある方ならご存知かと思いますが、自分は時々ちょっとポエム調というか、素面で読んだら我ながらこっ恥ずかしい格好つけた文章を書いたりすることがあります。(実際夜中のテンションで書いたりすることもありますけど……)

 

今回はそんな自分が好きな詩、シェイクスピアソネットをひとつ抜粋で書いてみます。いまの季節にもぴったりのやつ。

 

君を夏の一日と比べてみようか?

だが君のほうがずっと美しく、もっと温和だ。

(中略)

しかし君という夏は永久にしおれることはなく、

君の今の輝きも色褪せることはない、

君が死の影の谷を歩むことは死神も吹聴できはしない、

時間を超えた詩行の中に君が生きるならば。

 人が息づき、目が見えている限り、

 この詩は生き続け、この詩によって君も命を永らえる。

 

――ウィリアム・シェイクスピアソネット集』18番

(※岩波文庫『対訳 シェイクスピア詩集』より引用)

 

……いやもう最っっっ高すぎる。なにがいいって「人が息づき…」からのラスト。ほんとしびれる。

 

以前、とある記事にこんなことを書きました。

 

「個人的にではありますが、芸術とは、人間の体という入れ物の中にある心や感情をすべて解き放ち表現するものだと思います。

絵画ならその一筆一筆に、音楽なら一音一音に、踊りならその動きひとつひとつにすべてを込める。芸術に対する感動とはその美しさだけではなく、それを作り上げた者が込めた想いに圧倒され、文字通り気持ちが揺さぶられるからなのではないかと思うのです。」

 

 作品に込められた思いや息遣いは人々が生きている限り、人々の記憶の中にある限り残るもの。実際さっきの詩も、書かれた瞬間よりはるか未来の私の心を動かし、その時代のその瞬間に生きていた人に思いを馳せるようにもできる。人間が生きていられるたった数十年の、何倍もの時間を超えることができる。

 

なにかを表現すること、作り上げることの究極が、今回のタイトルの意味に戻ってくるような気がします。

 

ところでシェイクスピア別人説(何人かの共同のペンネームだった説)というのがあるようですが、そういうのも謎めきすぎて面白いですね。もちろん私は正真正銘一人です。明日からも仕事が山積みなのでがんばります\(^o^)/

俺の生き様が俺の死に様を決める

タイトルは好きな曲の歌詞からなんですけど、これだけでわかる方どのくらいいるんだろうか。正解はこちらです。

 

My lifestyle determines my death style.

(俺の生き様が俺の死に様を決める)

――メタリカ(『Frantic』)

 

普段洋楽は歌詞を意識して聴くことはあまり無いんですけど、このフレーズちょうかっこよくないですか?ジャ●ラック様がこわいのでたくさんは書けませんけど、この曲はほかにも「この恐怖は俺の中から生み出された」とか言ってて、それもう哲学じゃんねっていう…。

 

 死に様というと大げさかもですけど、未来を決めるのは間違いなく自分の選択や行動や意思であって、その船の舵を取るのは自分自身以外のなにものでもないのだと思います。最短距離でも、じっくりと時間をかけて目的地にたどり着いてもいいし、途中で行き先を変えたっていい。すべては自分次第。ともあれ、良い旅だったと言える航海にしたいなあと思います。

 

邦楽でも有名なあの曲にありましたが、「おまえのオールをまかせるな」ってことなんですねたぶん。あっ、そろそろ本当にジャス…様がこわいのでこのあたりで。 

その理由にしがみつけ

映画や小説やゲームの中のセリフ、音楽の歌詞で好きな一節があります。それを書き残しておくためのカテゴリを作りました。どっちかというと自分用メモでもありますが…。

 

というわけで今回はこちら。

 

「脚本を書くという作業は海に飛び込むようなもので、『衝動』という救命艇がないと死んでしまう。『書きたい理由』に必死でしがみつけ!」

――映画『Re:LIFE~リライフ~』より

  

 ちょっとこれ、まず映画のあらすじを書いておきますね。

 

主人公はヒュー・グラント演じるかつての売れっ子脚本家。いまではすっかり落ちぶれてしまった彼は、仕方なく田舎の大学の映画脚本のクラスで教鞭をとることになります。そこには「これから」の若者たちと「やり直し」の大人(主人公含め)がいる。まったくやる気のないダメ男だった彼ですが、皆とふれあううちに次第に変化が訪れて…というお話です。

 

脚本クラスが舞台だけあって良いセリフがこれでもかと出てくるんですが、中でも一番刺さったのが上の一文。私自身も物書きだからというのもあるとは思いますが、これ、どんな職業や夢にも当てはまるんじゃないかと思います。

 

ものづくりだとわかりやすいんですけど、なにか作品を作り上げようとしたり、夢を叶えようとしたりするには、それが大きければ大きいほどその分時間がかかる場合もあると思います。そうなると気力も体力も使うし、長期戦になれば次第に息切れもしてくる。すると「なんでこんな苦しい思いしてるんだっけ?」ってなることもあると思うんです。

 

そんな時にはなぜ自分がこの道を進もうと思ったのか、その想いと理由を思い出してみる。このセリフは、それがあればどんなに泳ぎ疲れても決して溺れることはないのだということを教えてくれているように思います。

 

この映画自体はオスカーを獲るような大作ではないしそこまで話題になった作品ではないんですけど、キャストやスタッフを見てもわかるとおりめちゃめちゃ安心感ある布陣です。びっくりするような奇抜なものではなく、おうちで作ってくれるお母さんの料理みたいなほっとする味。

 

でもこういうあたたかくて心地いい、じんわりした感動を生み出せる人に私もなりたいと思っています。 

準備はいいか?

ちょっともう…6月が終わりますよ…てことは今年の半分が終わったということですよ…。早すぎてびびる。どうりで「今年の下半期の星占い☆」とかよく見かけるようになったはずですね…。

 

というわけで早くも明日から7月、今年の後半に突入です。

 

個人的な話ですが、去年から今年は公私共に激動もいいところで、常に数ヶ月先の自分の姿がまったく想像できない日々を送っていました。ていうかぶっちゃけいまも若干そう。うひーこわい。会社には所属しているのでそういう意味では安定かと思われそうですけど、まあいつどうなるかなんてわからないですからねこの業界…。

 

私は仕事は大好きですが社畜ではないので、正直言って書きたいものが書ければどこでもなんでもいいと思っています。でも書いたものはたくさんの人に届いたらうれしいし、読んでいただけたらうれしい。だからいまの環境でものを書かせていただいていることにはとても感謝しています。今年の前半は、そういう意味では本当に幸せでした。もちろんいいことばかりではなかったですけど、楽しかったこととかうれしかったことでぜんぶ帳消し(単純)。

 

前に「チャンスが訪れるのは夢を叶える覚悟ができた時」みたいなことを書きましたが、覚悟もそうですけど準備も必要なんだなと思うようになりました。準備ができて初めて覚悟もできるのかなと。準備というのは日々の努力だったり仕事だったり勉強だったりするもので、覚悟というのはたぶん「自分にはそれができる」と、自分自身の力を信じることなんじゃないかと思います。

 

そんなわけで後半戦。年の暮れ、また半年を振り返って「いろいろあったけど楽しかった」と思えるようにがんばりたいと思います。

その日の天使(The Day's Angel)

このネタ個人的にもblogやら何やらでいままで何回も書いてきてるんですけど、好きなのでまた書きます。

 

今は亡き中島らもという人のエッセイの中に「その日の天使」というのがあります。

 

この人はアル中でヤク中のどうしようもない、けれど愛すべきおっさんだったのですが(いつか気持ち良く酔っ払って階段でコケて知らない間に死んでたらいいな、みたいなことを言っていたと記憶してます。そして実際その通りに亡くなりました)、とても温かくて美しい文章をたくさんたくさん残されていて、かつての私もずいぶんと彼の作品に励まされたものでした。

 

で、表題の「その日の天使」。

 

詳しくはググっていただければ収録されている本や本文が見つかるかと思うのですが、ざっくり言うとこんな感じです。

 

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死んでしまったジム・モスリンの詩にある「The day’s divinity, the day’s angel」という言葉。これを自分は「その日の神性、その日の天使」と受け止めている。

 

一人の人間の一日には必ず「その日の天使」がついていて、それは少女や子どもや生まれてすぐに死んでしまった犬や、とにかく様々な容姿を持っている。それは心も体も元気な時は目に見えない。けれど絶望な気分に陥っている時、こんなことがある。いきなり思いがけない友人から電話がかかってくる。またはふと見かけた一葉の絵に励まされることがある。それは、その日の天使なのだ。

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このエッセイのオチはある時追い詰められてどうしようもなくなった筆者が、ふと耳にしたバカバカしくも軽快な石焼きいものおっさんの歌に救われた…というものなのですが、実際こういうことってあるんですよね。私もこれまでに「もうダメかもしれん…」と思った時、見知らぬ土方のおっさん(!)に言われたひとことに救われたことがあります。本当に、天使というものはこちらの予想もつかない姿で現れるものなんだと思います。でも、必要としている時にはそれは必ずわかるもの。

 

ものを書く仕事を始めて思ったのは、自分の書くものがたった一度でもいいから「誰かの天使」になれればいいなということでした。これからまだまだたくさんの文章を、言葉を連ねていくつもりなのですが、それがどういう形のものであれ誰かの心に残るものに、誰かを救うものになれたらとてもうれしい。

 

それがいまの、たくさんある私の夢のうちのひとつです。