普段の仕事での私の記事を読んだことがある方ならご存知かと思いますが、自分は時々ちょっとポエム調というか、素面で読んだら我ながらこっ恥ずかしい格好つけた文章を書いたりすることがあります。(実際夜中のテンションで書いたりすることもありますけど……)
今回はそんな自分が好きな詩、シェイクスピアのソネットをひとつ抜粋で書いてみます。いまの季節にもぴったりのやつ。
君を夏の一日と比べてみようか?
だが君のほうがずっと美しく、もっと温和だ。
(中略)
しかし君という夏は永久にしおれることはなく、
君の今の輝きも色褪せることはない、
君が死の影の谷を歩むことは死神も吹聴できはしない、
時間を超えた詩行の中に君が生きるならば。
人が息づき、目が見えている限り、
この詩は生き続け、この詩によって君も命を永らえる。
――ウィリアム・シェイクスピア『ソネット集』18番
……いやもう最っっっ高すぎる。なにがいいって「人が息づき…」からのラスト。ほんとしびれる。
以前、とある記事にこんなことを書きました。
「個人的にではありますが、芸術とは、人間の体という入れ物の中にある心や感情をすべて解き放ち表現するものだと思います。
絵画ならその一筆一筆に、音楽なら一音一音に、踊りならその動きひとつひとつにすべてを込める。芸術に対する感動とはその美しさだけではなく、それを作り上げた者が込めた想いに圧倒され、文字通り気持ちが揺さぶられるからなのではないかと思うのです。」
作品に込められた思いや息遣いは人々が生きている限り、人々の記憶の中にある限り残るもの。実際さっきの詩も、書かれた瞬間よりはるか未来の私の心を動かし、その時代のその瞬間に生きていた人に思いを馳せるようにもできる。人間が生きていられるたった数十年の、何倍もの時間を超えることができる。
なにかを表現すること、作り上げることの究極が、今回のタイトルの意味に戻ってくるような気がします。
ところでシェイクスピア別人説(何人かの共同のペンネームだった説)というのがあるようですが、そういうのも謎めきすぎて面白いですね。もちろん私は正真正銘一人です。明日からも仕事が山積みなのでがんばります\(^o^)/